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[ 2000ミリメートル。]

[ feel,]- Keep your chin up,look up to the skies and see. -

[ 2000ミリメートル。]

ちゃんと考えろ。
ぼくみたいになりたくなければ。

Memento 23th April.
 かの有名なペストの大流行は、十四世紀のヨーロッパでの出来事だ。モンゴル軍がヨーロッパに侵攻した際にもたらしたのものが大流行してしまった、というのが有力な説。人々はよく分からない病に怯え、感染してはなす術なく死ぬ姿に『死神』を見たのだろう。何かに救いを求め、集まり、きっと大声で許しを乞うたに違いない。けれども、それが次の感染拡大への原因を作ってしまった。黒い死から逃げるように各地へ移動し、その地でまた人から人へ感染を広げていく。逃げに逃げた地の果ては海で、人が考えたことは海を渡り“死神”から逃れる事だった。それはまた結果として渡った地で病を広め、個人を大切にする宗教観を持っていたはずの人々が、亡骸をまとめてひとつの穴に弔ってしまうほど、毎日、何十人と犠牲者が出てしまった。そんな悲惨な光景を教科書で読み解くだけだったはずが、

ぼくの世界でも起こっている。

 一年に一度やってくる四月二十三日の朝。歯を磨き、朝食を作ってテーブルに皿を乗せた。テレビをつけて、ニュースを見ながら食べる玉子焼きが焦げていて、口の中に広がる不快な匂いとゴリゴリとした食感が一日の始まりだと思うとげんなりする。

『…………の感染者数です。昨日、二十二日の空港検疫をはじめとする……』

 五ヶ月前に海外で流行し始めた病が、この国でも確認されるようになった。確か去年末だったっけか『この国の防疫は大丈夫です』と背広を着た誰かが緊急会見としてテレビで言っていた。その発言はすぐに速報として流れ、次の日には各メディアがこぞってそれを伝え『安心してください!』とスピーカーが口うるさく、何度も言っていた。あれから春を迎え、目の前に広がる光景は『……に関する有効な治療法無く、政府としても関係機関に協力を仰いだ上で総力を上げ病原……』だ。未だに流行病が何なのかすら解析が出来ていないらしい。永久凍土から出てきた系統の分からない病原菌説や細菌兵器説などが連日連夜、どの媒体からでも目にし耳にする。今、そんことで非難し合うだけの議論をしてどうなるんだろう、と首を傾げることばかりだ。ただ、確実な情報は流行病の致死率はかなり高く、ヒトヒト感染をする、有効な治療薬が見つかっていないということ。それでも生活はしていかなければいけないから、打開策が見つかるまでの対策として、不要不急の外出は控えることと、人と人の間に二メートルの距離が求められる生活が四ヶ月前に始まった。

 不謹慎だけど、ぼくも最初は『お祭り気分』で過ごしていたのだが、そのうち明らかに社会を蝕んでいく病に不安を感じ始めて、その行き場のない感情に苛立つようになるほど、精神的に追い詰められていた。冷静に考えれば不思議で、自分でも怖い状態だったと思う。ぼくは何にも身体を侵されていないのに、人に対して攻撃的なほどの『正義』を求めていた。自分の正義に反するものは悪、とまで思い込んでいた。それは明らかに普通ではなく、常軌を逸していたから、今では悔いている行動なのだけど、その行き過ぎた行為は今、連日逮捕者が出てしまうほどに蔓延していて落ち着く気配がない。はあ、とため息を吐いて「ごちそうさまでした」と食器を洗う。午前九時になると部屋の中でも出来る運動であり、国から推奨された『ラジオ体操第三』で体を動かす。腕を水平にーっ、左に顔を向けてーっ、無知のないよーにー首と肩の筋をー、と言われたその時、本棚の小説に目がいった。

ジュール・ヴェルヌの名作小説『海底二万マイル』。

 かの有名な潜水艦ノーチラス号とネモ船長が登場するSF小説。原題は『Vingt mille lieus sous les mers』で、マイルという単位は出てこない。当時、フランスではリューという単位が使われていて、翻訳する際に語感やリューに一番近く親しみのある単位が『マイル』だったから邦題が『二万マイル』になった、と聞く。海で使われる二万リューをキロメートル法に置き換えると11万1200キロメートルほど。この小説が書かれた時代の感覚で『とにかく凄い距離なんだ』という感じで付けられたのだと思う。

『……今日もきちんと人と人の間に二メートルの距離を保ち笑顔で過ごしましょー!』

 今日も朝から感染しない為の距離が、何度も何度も繰り返し伝えられている。

もう引きこもって、二週間。
彼女が出ていって、半年目の朝だ。

Mement 3rd May.
 政府からの配給品だというラベルの貼られた箱が届けられた。その中に入っていたのは戦争映画でよく見る『ガスマスク』だ。そういえば、三週間ほど前のニュースで「マスクが配られる」とかやっていたな。こんな物を配るなんてことがデマやフェイク、ネタではなく本当だったんだな、という驚きとともに、その仰々しい物に「なんだ、これ?こんな物を被らなきゃいけないのか?」と眉をしかめてしまう。マスクを箱から取り出し被ってみて思い出したのは「全国民に行き渡る数のマスクが確保できました」という発表があったなあ、ということと、どこかの国ではコレの争奪で戦争が起きているらしい、ということだ。十日前から『海底二万マイル』を懐かしく読み返していたぼくは、なんだか笑ってしまった。今じゃ、海底でもないのにマスクを被り酸素を吸うのか。二万リューや二万マイルどころか二メートルすら果てしない距離だんて、と膝を叩く。
 その日の夜、ニュースが伝えたのは『ガスマスクを装着していない者は外出禁止とする』ということ。確か……法律の関係で、個人の行動を制限するのは出来なかったんじゃなかったのか?その『特別措置法』は、いつ出来たんだよ?とネットで情報を集めるが、そこに議論をしています、という過去は無く、突然『特措法』の施行日と伝え知った日が同じという不可解な情報しかなかった。いよいよ小説やマンガ、アニメに映画の世界がやってきたんだな。バイロンの言った『事実は小説よりも奇なり』ってやつか。……確かバイロンは偽善で溢れる世の中が嫌になったんだよな。ぼくは偽善でもいいと思うよ、救われる人がいるならね。
 ベッドに座り『海底二万マイル』を手に取りページをめくる。二万マイル…………………か。ぼくたちの夢だと、勝手に押し付けられた月や火星への移住計画も、火星どころか地球の衛星である月ですら果てしない。最後に人間が月へ行ったのは……1972年のアポロ17号だから何十年経っているのだろう?ヴェルヌの『月世界旅行』から150年以上、映画撮影から100年以上も経っているのに月面旅行すら達成できていない。月までの距離は38万4400キロメートルだが、今や人間同士の距離が二メートルですら争う為の種なのに、と考えているときにラジオから通勤電車を待つホームで、その二メートルの距離をめぐって起きた暴行事件六件発生したと伝えられた。

「今日は少なかったんだなあ」

Mement 4th May.
 今日、初めてガスマスクを着けて、家から出る事にした。意外にも町にはマスクをしっかり着用した人ばかりが溢れていて、ぼくと同じようにみんな外に出たかったんだな、と思う。しかし、息は苦しい上に『特措法』で決められた時間にしか自由は与えられていない。このマスク、不良品なんじゃないかと思うくらいに苦しいから、スマートフォンで調べるも『ガスマスク』とはこういう物らしい。すこし歩いただけで息が上がり、苦しくなるくらい不自由な物を顔に装着しなければならない。そんな不快をもってもしても自分を守る為、自由を得る為に必要な物だ、仕方がない。しかし、新たに目の前に現れた二センチメートルの距離にある、視界を確保する為にはめ込まれたポリカーボネート製レンズの向こう側が二センチメートルより遠い。ついに人との距離がパーソナルスペースと感染対策である二メートルを切ってしまった。飛沫による感染を防ぐために二メートル以上離れろと言われ、接触による感染を避ける為だとして握手すら出来ない、さらにマスクを被ると世界は一気に二センチメートルにまで狭まる。こんなに対策をしても距離の事で争うんだ。ひと時の感染確率を下げる為にかせられた人間同士の距離が、かせられた距離以上に心と心の距離を離れさせたように思う。

 あれ?この場合は『課せる』と『科せる』、どっちの漢字だったかな?まあ、どっちにしても同じような感じか。

Mement 23th May.
 マスクによる呼吸のし辛さにも体が順応した頃に、政府から月、水、金曜日の日中なら自由に外出してもいいと許されるようになった。思い切って行きたい場所に行こうとバスに乗る。制限は日没までだから、どこまで行けるか。バスの中で周りを見渡すと、みんなマスク着用の上に大きな荷物を背負っていたから、やっぱりぼくと同じでどこか遠くに行きたかったんだな、と見渡していた。窓から見える自動車の運転手も歩道を歩く人たちもマスクを付けているが、最近ではテレビやネット、CMなどでもよく見る光景だし、あまり違和感を感じる事はない。バスを降りて道路を挟んだ駅に向かう途中で、ベビーカーを押している女性が困っていた。どうやらベビーカーの前輪がグレーチング……溝にはめ込む蓋の隙間に落ちて抜けなくなったようだ。その横を多くの人が通り過ぎていく、ぼくもそのひとりだ。今、接触でもして、もしあの人が感染者だったらどうなるかを想像したから、そう判断した。横断歩道を渡り、ICカードを出して改札機の……、その足が止まる。

 あれ?数週間前まで、ぼくは二メートルの距離以上に、心が離れた世界はおかしいと思っていなかったか?

 今、ぼくがあの母子にしていることは、心の離れた行為なんじゃ…………まあ、さすがに駅前の歩道だ。もう他の人が……もう一度、横断歩道を渡り、歩道をゆっくりと戻ってみた。すると、まだベビーカーの前輪は溝に落ちたままで困っているではないか。嘘だろ?どうして、みんな『何も無い顔』で横を通り過ぎていけるんだよ。

「大丈夫ですか!手伝いますよ!」

 ベビーカーの持ちやすい所を探して持ち上げ、引っかかっていた前輪を蓋の隙間から外した。その母親は本当に困っていたのだ。ありがとうございます、ありがとうございます、と、何度も、何度も、お礼を言い、頭を下げる。そのマスク越しの目が複雑な感情を表していた。そう、本当に困っていたのだ。助けられないことと、助けられたことに。

接触感染。

 最近じゃ、触った触ってないで殺人事件まで起きてしまっている。ぼくがやった行動は『やさしさ』か『思いやり』か、それとも……もしかして。

Mement 14th June.
 梅雨に入り、雨音がする深夜にスマートフォンが鳴った。意識は半分、夢の中で目を閉じたまま枕元を探り、細かく震えるそれを手に取る。眠たい目を薄く開けて、暗闇に光り浮かぶ発信者の名前が表示されるはずの画面に、十一桁の数字が表示されていた。……誰だ?しかも、こんな時間に…………いや、この番号は。

「もしもし?今更、何?」

 八ヶ月前に出ていった彼女の電話に出るなり言った言葉の返事が、彼女の母親の声で鳴る。その声は長い時間、嗚咽と辛うじて言葉の形を保った声で、彼女が流行病に感染していて、後三日と持たないと医者に告げられた事。それを彼女が知り、ぼくに会いたいと泣き喚いたこと、それを叶えてやりたいということが長々と伝えられた。ぼくは彼女に会うつもりはないと言うと、一時間半の押し問答のような会話が始まる。今や生命が救えない、一度この病に感染すれば、ゆっくりと終わっていくのを見ているしかない。最後にせめて、と母親が願い、何度も懇願したそれは、ぼくによって簡単に握り潰された。たった親指一本のタップで一方的に潰された。勝手に出ていったくせに今更何だよ、それ。ひとりで死ぬのが怖いからと、別れた相手でいいから、抱きしめられて死にたいだなんて身勝手過ぎないか?今、病院になんて行ったら感染してしまうかもしれないのに……

 あれ?ぼくは、こんなにも冷たい人間だったっけか?もし、あいつは今でもぼくのことが好きで……そうじゃないとしても、ぼくが嘘をついて抱きしめ…………

「まあいいか。考えるのも面倒くさい」

 それから、ぼくはぐっすりと眠り、四日経った時からニュースで伝えられる死者数が少し増えてたけれども、そこに別れた彼女が数えられていたかどうかは知らない。

Mement 11th October.
 最初の感染確認から来月で一年だ。未だにテレビから流れてくる情報は、感染が確認された時から変わっていない。そう、何も変わらないのだ。つまり、誰も何もしていない。ただ、耐えて、耐えて、我慢して、我慢して、みんなギリギリの所で感情を抑えていたのだけど、それもここ二ヶ月ほどで感じなくなった。殺人事件まで起きるほどの利己的な正義までもが起きなくなり、偽善だか善だか分からないが、正義が行使されることのない世界は淡々と毎日が過ぎて、平和だ。

 部屋の中でもマスクの着用が義務化され、食事や水分を摂る時以外は装着していなければいけないが、不便さは全く無い。



もう慣れた。

 誰も何もしないことにも慣れた。何ヶ月か前まで、ぼくは他人に干渉し過ぎていたのかもしれない。困っている人が困っていると言っていないなかったし、助けを望んでいるかも分からないのに助ける。それを『やさしさ』や『思いやり』なんて言って履き違え行動するのは迷惑だろ。

 思考停止と言われても仕方がないが、似たような出来事は歴史を学べば日常茶飯事だったじゃないか。誰かの何かになる、皆がそう考えて行動した結果が教科書に載っている悲劇を起こしたという事実だってあるんだ。不安や苛立ち、誰かの願いを叶えてやりたいだなんてことを考えなければ、どうってことないことばかりだった。

 ひとつ玉子を割り、その殻の隙間からフライパンに落ちた黄身がふたつ。それをじっくりと焼くいていく。「俺は半熟が好きだなあ!」と笑いながら言っていた友だちが、一週間前に死んだのを思い出した。死因は…………、まあ流行病じゃなかったが、選べたならそれもしあわせなのかもしれない。

「ん?ひとつの玉子からふたつの黄身?」

 こんな珍しいことが目の前で起きたのに写真を撮るのを逃した。ネットにでも画像を上げていたら…………まあ、いいか。自分のことで無いことは他人事で、自分のことではない。自分のしあわせではないことで、自分がしあわせになれるはずがない。こんな当たり前のことに気付かず、干渉する事を善いことだなんて偽善も偽善、それらを心掛けてきた二十七年間に呆れてしまう。

あ。ほら余計なことを考えてしまったから焦げてしまった。

 一年に一度やってくる十月十日の朝。朝食を作りテーブルに皿を乗せた。テレビをつけてニュースを見ながら食べる玉子焼きが焦げていて、ゴリゴリとした食感が一日の始まりだ。

『……の感染者数です。昨日、九日の空港検疫をはじめとする…………』

 十一ヶ月前、流行し始めた病は収まることを知らず、あれから一年になろうとしているが現実は『……まだ有効な治療法無く、政府としても総力を上げ病原……』だ。未だに流行病が何なのかすら解析が出来ていないらしい。最近、確実な情報として、流行病の致死率は九十九パーセントを超えていて、ヒトヒト感染をする、今のところ有効な治療薬はないということ。それでも生活はしていかなければいけないから打開策が見つかるまでの対策として、不要不急の外出は禁止されたことと、人と人の間に二メートルの距離が求められている。

『……を乗せた宇宙船が打ち上げられ』

 昨日、月面着陸に向けた宇宙船が三人の宇宙飛行士を乗せて打ち上げられた。月までの距離、三十八万四千四百キロメートルを約三日で航行する。三日か…………触れられる距離にいるはずの人に触れることは出来ないのに、月まで三日もかけて旅行とは変わってほしいものだ。最後に人に触れたのは出ていこうとした彼女を止めようと、腕を掴み損ねて、すこし触れたのが…………あれが、最後。今じゃ、人と人の距離どころか、心と心の距離までもが宇宙に行くより果てしない。宇宙船とは交信はできても、目の前にいる人に話しかけるのは躊躇われる。

……なんて、ぼくは詩人や哲学者じゃないんだから考えるのはやめよう。

ただ、

ただ、ただ、

 よく晴れた日に広い公園に行き、芝生に寝っ転がって、いつかのきみとキスがしたい。手をつないで歩きたいだけなんだ。心通わすなんてことは幻想だ、そういう人もいる。それが幻想や思い込みの類だとしても、それを感じて、そんなことをしたいだけなのになあ。

「ごちそうさまでした」

手を合わせて、ガスマスクを被る。食器を洗って、ぼくは今日ね…………、


[ 2000ミリメートル。]おわり。


 
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